聖書改ざん箇所修復の試み(3)      ・・・・・・   逐次更新していきます   2014 12 1−

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          対NIVの削除箇所表        戦慄すべき聖書翻訳の実態

        ワードプラネット:英語が KJV (日本語は口語訳×)     シナイ写本の検証

        ヘブライ語(マソラ本文)−英語対訳   google 翻訳 (ヘブライ語 → 英語、日本語など)
         ヘブライ語旧約聖書の台湾語訳         死海写本(イザヤ書1−66章)




  1) Uテサロニケ2:3、 2:7

   「まず 背教が起こり、不法の人(×)、すなわち 滅びの子(破滅に定められた者(△)、=反キリスト)が現れなければ、主の日(御子イエス様の再臨の時)は来ないからです。」(2:3、新改訳)
  ワードプラネットの ビザンチン型ギリシャ語訳より、
   「ο ανθρωποσ τησ  αμαρτιασ,  ο υιοσ τησ απωλειασ (ホ アンスローポス テース アマルティアス、 ホ ニオス テース アポーレイアス)」  = 「the man of sin,  the son of loss (perdition)

     = 「罪の人、 損失(損害、消耗)の子」(○)  という意味。

      ・・・ 原罪そのままで 浪費癖の”ネロ”・666(→ ネロ・カエサルの数字ゲマトリア)という感じの人物。 ここでは 「アマルティアス、罪の」であって、「ανομιασ(アノミアス)、不法の」ではない(↓)
  ここで注目すべきことは、 「背教」とは、(初めはそこにいたが、)キリスト教界から出て行って、反キリスト的な働きをする人々が まず現れることを意味しています。(いわゆる”制度的教会”、”大いなる異端”と呼ばれるもの、にせ預言者ら「地から」(黙13:11)) 次に、それに関連する形で 終末の「反キリスト」が「異邦から」(黙示録13:1「海」)現れます。


   「不法秘密はすでに働いています。 しかし今は 引き止めるがあって、自分が取り除かれるまで引き止めているのです。」(2:7、新改訳)
   「7  For the mystery of iniquity doth already work:  only he who now letteth will let, until he be taken out of the way. 」(2:7、KJV)
   「το μυστηριο(ミステリオ)  τησ(of) ανομιασ(アノミアス) ηδη ενεργειται・   μοναχα μεχρισ οτου βγει απο τη μεση αυτοσ(アフトス) που τωρα εμποδιζει・」 = 「the mystery of lawlessness(iniquity) already work; just come out until the middle of this he now prevents;

     = 「無法状態(不法)の秘密はすでに働いている。 彼(=御使い)が 途中で出てくるまで、今 とどめている。」(○、これは新改訳もok)

   この「αυτοσ(アフトス)」 が誰であるか諸説がありますが、小文字で 「he、 彼」であって、聖霊ではなく 特別な任務の御使いです。
  (* 神の名前: Θεοσ(テオス) = 神 、 Πνευματοσ(プニューマトス) = 聖霊 、 Πατερασ(パテーラス) = Father 御父 、 Κυριοσ(キュリオス) = Lord 主、 Ιησουσ  Χριστοσ = Jesus Christ 、など大文字



  2) マタイ4:10

   「10  Then saith Jesus unto him, Get thee hence(Πηγαινε = go、 堅い言葉で”この場所から立ち去れ” ○), Satan: for it is written, Thou shalt worship the Lord thy God, and him only shalt thou serve.」(KJV、マタイ4:10)
   Πηγαινε= go は、”下がれ” というよりも、「出て行け」 という強い意味。
   cf. 「イエスは言われた。「引き下がれ、サタン(△)。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」」(新改訳)
      「10  するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け(△)。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある。」」(口語訳)
      「Then Jesus said to him, "Get behind me(”下がれ”程度の意味 ×), Satan! For it is written, 'You shall worship the Lord your God, and you shall serve him only.」(World English Bible、web・電網訳

  イエス様は試みを受けられた時、サタンは 詩篇のみことば(91:11)を悪用しましたが、イエス様は いずれも申命記の「十戒」のみことばを用いて撃退しました。
   @ 「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」 (申命記8:3)
   A 「あなたの神である主を試みてはならない。」 (申命記6:16)
   B 「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。」 (申命記6:13)

  申命記(デヴァリーム(言葉)、Deuteronomy)は、 5〜11章「十戒」(神であるとの契約の土台)の再記述、12〜26章 他の律法、 27〜30章で 「祝福とのろい」、33章 各部族への預言・祝福))の構成で、神の言葉のうち最も重い部分を代表して現している箇所です。
  * カトリックの聖書(ウルガタ<70人訳×)や 異端の書では この最も重要な「十戒」が曲げられています。
  ・ 出エジプト20:2 ユダヤ:第1戒、アウグスチヌス:第1戒、 20:3、4−6 ユダヤ:第2戒、アウグスチヌス:第1戒、 逐次1つずつずれて、 20:17 ユダヤ:第10戒、アウグスチヌス:(妻)第9戒・(家)第10戒  ・・・ ラテン語聖書では、第1戒「主の他に神々があってはならない(目に見えないもの含む)」 と 第2戒「偶像を作ってはならない、拝んではならない、仕えてはならない」(目に見えるもの)が、”第1戒”として一つになっている。(×) さらに、ローマ法王制に都合の良いようになっている。(本来の第1戒によれば、(目に見えない)カトリックの”制度”やローマ法王制など = 偶像)
  このことは終末に 発見されるはずの「十戒の石の板」によって、もう一度全世界にあかしされます。ただし、「契約の箱」には、ソロモンの時代からすでに、「二枚の石の板のみ」。(U歴代誌5:10))

  ダビデは、ウリヤの妻 バテ・シェバによってソロモンをもうけ、油注いで王の後継ぎにしました。 しかし、「不倫の子は 十代目の子孫さえ主の集会に加わることはできない」(申命記23:2) とあるように、ダビデ本人の罪は赦されましたが、申命記によって語られた のろいは、ソロモン(晩年の罪のため天国にはいない)、南北朝分裂、レハブアム、アビヤム、・・・ 、北イスラエルのアッシリア補囚、南ユダのバビロン補囚、 のように成就していきました。(「ダビデからバビロン移住までが十四代」(マタイ1:17)、 良王ヨシヤは13代目)
  また、申命記28章15節からの のろい(祝福の倍くらい書いてある)については、エルサレム陥落後ディアスポラの民として、1900年もの長期間 ユダヤ民族に成就してしまいました。それは、救い主 御子イエス様を メシヤとして受け入れなかったからです。 

  しかし、この強力な律法であっても、御子イエス様は身代わりに 十字架上で、「自らのろわれた者となられ、律法の のろいを取り除いてくださった」(ガラテヤ3:13)ので、「信じる」私たちにとっては、律法は 今や 罪を悔い改める基準、いわば”鏡”となりました。
  一方、律法は廃棄されたのではなく、信じない人々に対しては、相変わらず さばきの基準になっています。



  3) ホセア13:14

   「14  わたしは彼らを陰府の力から、あがなうことがあろうか(×)。彼らを死から、あがなうことがあろうか(×)。 死よ、おまえの(△)はどこにあるのか。陰府よ、おまえの滅び(△)はどこにあるのか。あわれみは(×)、わたしの目から隠されている。」(口語訳) ・・・正反対の訳
   「わたしは よみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう(○)。 死よ。おまえのとげ(×)はどこにあるのか。よみよ。おまえの(×)はどこにあるのか。 あわれみは(×)わたしの目から隠されている。」(新改訳)

   「14  I will ransom them from the power of the grave(△); I will redeem them from death: O death, I will be thy plagues; O grave(△), I will be thy destruction: repentance(後悔(○)、悔い改め) shall be hid from mine eyes.」 (KJV)

 

  ホセア(BC750頃、=ヤハウェの救い・イエス様に近い名前)は、ヨナ(=鳩、BC8)とともに、北イスラエルの預言者です。北イスラエルは、分裂(BC922)後の最初から偶像崇拝と不信仰を重ね、BC722 アッシリアによってサマリアが陥落し、クルディスタンのメディアの諸都市や アフガニスタン北部(U列17、18、T歴5)への捕囚の民とされ、アッシリア滅亡(ニネベ陥落 BC612)後は、一部はアフガニスタン近辺に残り、他は 「シニムの地」(イザ49:12、43:5)(=中国)などへ向けて、この太陽神崇拝・偶像好きの民は 東方憧憬の国々へ移動していったと考えられ、その中に 日本も含まれていると考えられています。(アミシャブの調査結果
  これは、神武天皇の伝承に対して タイミングが合っている(BC660頃?)ので、日本人には、ヨセフやマナセなどの 北イスラエルのDNAが混じっている可能性があります。(文化的には、後の時代(AD4−5世紀以降)の秦氏によって ユダヤ的な文化(南ユダ)が日本の深いところに入ってきました。) そして、日本の歴史上、ヨセフ、エフライムの祝福(創世記49:22−26、申命記33:13−17)をほうふつとさせるような 海外進出などの出来事が何度もありました。
  しかしながら、日本人は、トーラーや律法遵守などの明確なユダヤ文化は無く、ユダヤ教ではないので、あくまでも「異邦人」です。

  ・・・・・・ このように、日本人が救われにくかった理由は、(東のはずれという地理的要因に加え、)ユダヤ性に起因する「不信仰」にあることは明白です。(律法的(行いによる義)、和魂洋才、天皇崇拝、多くの偶像)  しかし 終末の今の時代には、一旦 聖霊様主導しるしと不思議を伴う伝道が始まると、イスラエル(=「栽培種のオリーブ」(ロマ11:24))に次ぐ速さで、急速に救われてくるはずです。(「ユダヤ人はしるしを求める」(Tコリント1:22)傾向)

  ホセア書は、新約聖書で引用されるところの多い預言書です。北イスラエルの民が、実質的に異邦人に混じってしまったこと(ホセア7:8)に関連して、特に、新約聖書で、「異邦人伝道」に転用されています。(ただし、終わりの時には、(置換神学ではなく、)本当の”宗教的・人種的な”残りの10部族も、(アフガニスタン、カシミール、ミャンマー、東の国々などから)イスラエル国に集められます。 イスラエル10部族のリバイバルは、異邦人の大リバイバルと共に、終わりの「後の雨」(ホセア6:3)の時代にかかっています。

   (ホセア書の引用 ・すべて新改訳
  1:10 ・・・ ローマ9:26、 「『あなたがたは、わたしの民でない。』」と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子供と呼ばれる。」 ・・・ そのまま異邦人の救いに転用
  2:23 ・・・ ローマ9:25、Tペテロ2:10、 「わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。」 ・・・ 異邦人の救い
  6:6 ・・・ マタイ9:13、 12:7、 「わたしは あわれみは好むが、いけにえは好まない。」 ・・・ 罪人を招くために主は来られた
  10:8 ・・・ ルカ23:30、 黙示6:16、 「そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ。』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ。』と言い始めます。」 ・・・ 直接は、アッシリアによるサマリヤ陥落の時の悲惨
  11:1 ・・・ マタイ2:15、 「「わたしは エジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。」 ・・・ エジプトに逃れた御子イエス様
  13:14 ・・・ Tコリント15:55、56、 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。 死よ。おまえのとげは どこにあるのか。 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。」 ・・・ 「死は勝利に飲まれた」(イザ25:8)
  → 上記より、ホセア書の直訳では、 「疫病はどこにあるのか、死よ。 殺戮(**)はどこにあるのか、よみよ。」となる。

  * 「よみ」は、ここでは「シェオル」=広義の「ハデス」 = 「ハデス」 + 「タータラス」 + 「アビス」。  「タータラス」(創世記6の堕落天使、Uペテ2:4、ユダ:6)、 「アビス」(=「底知れぬ所」、「アバドン(破壊者)」、ルカ8:31、黙示9:11、11:7)  cf. 「ゲヘナ」(ヨシュア15:8、マタイ5:29、30) = 「火と硫黄との池」(黙示20:10) は霊的な最終処理場、「シェオル」はこれとは異なる。

  **  → 「よみ」では、信じなかった人々が生前の行いに応じて、堕落天使らによって拷問(殺戮)を受けています。(3. ガジマ師 死人の生き返りのあかし) ただし、千年王国後の 最後の審判の後は、死とハデスも 火と硫黄の池に投げ込まれます。(黙20:14)




  4) エペソ4:11      →  地域教会と五役者の働き

   「11 And he gave some, apostles; and some, prophets; and some, evangelists; and some, pastors and teachers;
   → (直訳) 「彼(キリスト)は、ある者たちを 使徒たちに、他のある者たちを 預言者たちに、他のある者たちを 伝道者たちに、他のある者たちを 牧師また教師、それぞれ任命されました(それぞれの賜物与えられました)。」
   「11  Κι αυτοσ εδωσε αλλουσ μεν αποστολουσ,  αλλουσ δε προφητεσ,  αλλουσ δε ευαγγελιστεσ,  αλλουσ δε ποιμενεσ και δασκαλουσ」

  * και(ケー or カイ)は @ 〜と〜(並列、A and B)、 A 〜にして〜(等しい、A=B) の2つの意味、 後者としてとると 「牧師にして教師」(牧師 ≒ 教師となる可能性があります。また、δε(冠詞、the、it)は、この一つが牧師と教師の両方にかかっている
        αλλουσ other、  ποιμενεσ pastors、 δασκαλουσ teachers
        διακονιασ(ディアコニア、エペソ11:5) ministry、 奉仕、働き ⇔ 職業(×)



  五役者(ごえきしゃ、あるいは 五職)とは、「職業」「職(office)」「制度」ではなく、神学校を出たからといって牧師になるのではなく(**)、直接、御子イエス様が個別に「賜物」として「与えられた」ものです。 しかも、牧師の賜物と、教師の賜物は、別々ではなく かなり共通しているものであることを現しています。 ・・・ 使徒、預言者、伝道者、牧師・教師
  これは、御霊が 9つの賜物を分け与えられる(Tコリント12:11) ・・・ 知恵のことば、知識のことば、信仰、いやし、奇跡、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力
  御父が 教会に 7つの奉仕(賜物)を分け与えられる(ローマ12:6−8) ・・・ 預言(prophecy)、奉仕(ディアコニア、ministry、教会管理・貧者対応)、教える事(teaching)、勧め(exhortation、カウンセリング)、分与(giveth、福音宣教と貧者のために分け与える賜物(*))、指導(ruleth)、慈善(sheweth mercy、助ける働き)
  ことと同じで、すべて「賜物」です。
  また、これらの3つのカテゴリーの中で 「預言」だけが共通していて、「預言」が「神の三位一体」の中心点に位置していることを表しています。

  * 什一献金の束縛は不法です。マラキ書(3:8−10)は旧約時代の定めで、御子イエス様の十字架によって信じる者にとっては、律法の のろいは無効になりました。献金はあくまでも自発的なものでなくてはならず(Uコリ9:7)、いかなる強制もあってはならないのです。(また十分の一は計算法によって大きく変わるという問題があります。定職のある人たちに対しては、月定献金という形で集めている教会が多い。) そして、本来の教会の経済を担うのは、御父が定める この「分与」の賜物の奉仕によって中心的に行われるべきです。一般の人がマラキ書の定めの通り教会に献金したからといって何も起こりませんが(天には宝を積みます)、「分与」の賜物の人は、与えればより与えられます。

  「使徒」が教会の方向性を決め、全体を引っ張っていきます。(***)
  新約時代には、使徒が 子羊の12使徒以外にも存在し、預言者たちもいました。(「使徒たちパウロとバルナバ」(使徒行伝14:14)、「預言者たちや教師たちがいた」(使徒13:1))
  教会形成の働きは、「使徒と預言者の土台」の上になされます。(エペソ2:20) ・・・ 預言者(旧約聖書)+使徒(新約聖書)という「聖書」の土台の上に、という意味もありますが、具体的な使徒、預言者の賜物を与えられた働き人を通して、真の教会形成が行われることを表しています。

  使徒行伝の、パウロの1回目の伝道旅行では、パウロとバルナバのペア(使徒+使徒)であり、アジアの バルナバやマルコの郷里の近辺のみでした。その後、使徒パウロが 使徒バルナバと ヨハネ・マルコのことで反目し、パウロが 預言者シラスとペアを組み(使徒+預言者)共に(2回目の)伝道旅行をした際には、摂理的な奇跡が多く起こり、より遠く、ギリシャ(マケドニア、アカヤ)というヨーロッパ伝道が始められ、教会形成がなされ、また教会を強める働き「諸教会は強められ、日ごとに人数が増し」(16:5)ということが、1回目よりも強力に成し遂げられていきました。
  (3回目の伝道では、パレスチナからギリシャへの宣教の要衝である エペソ中心の伝道、 (その後) → (パウロ単独で)エルサレム → ローマへ)

  * パウロ: 使徒+伝道者+教師(兼任、Tテモテ2:7)、 テモテ: 教師(上記より、おそらく牧師でもある)(”伝道者(宣伝者)”として働くこと(Uテモテ4:5)は、五役者の「伝道者」ではなくても誰でもやっていたことです。) 使徒は 預言者のアドバイスを聞かないと 暴走することがある。

  ** 制度的な神学校出の牧師、海外の団体(福音派など)の経済援助による教会設立(戦後〜昭和30年代) → 反カリスマの間違った教理、 礼拝にイエス様が見当たらない(by. 霊を見分ける賜物の人による)、教会の祈り会である油注がれた人たちが祈っているその間にはイエス様が立っている(by. 霊を見分ける賜物の人による)、 カトリック教会の上のほうでは サタンと ミカエルのような御使いが常に戦っている。(まだ脈がある)(by. 霊を見分ける賜物の人による)、 など。


  *** 「真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(Uテモテ4:4) ・・・ 今の時代の傾向

  もし、イエス様が定める 五役者が 地域教会にいなければ、教会のすべての働きが ”ファンタジー”の方向に行ってしまいます。
  聖霊様以外の霊による働き: まじない、卜占(レビ19:26)、霊媒、口寄せ(19:31)、+霊的姦淫(20:5)、 1)主の御名によって、主が語られていないことを語ること( ex) 知恵・知識は本物で、信用させ、続けて出まかせを”預言”として語る)、( 2)他の神々の名による預言者) ・・・ にせ預言者 → 実現するかどうかで見分けなさい(申命記18:20)、 「(品性の)実を結んでいるかどうかで見分けなさい。」(マタイ7:16)
   ・・・ ニューエイジ: イエス様抜きで、幸福を追い求める働き・ムーブメント。 神から離れ、”自分の力”で幸福を追い求めようとする ”原罪”の性質が基本にある。
  幸福を第一に求めるのではなく、まず第一に 主のみこころを求めるべきである。(「神の国とその義をまず第一に求め続けよ。そうすれば、それに付け加えてすべて与えられる。」) 世的な幸福を第一に求めると 惑わされます。(繁栄の神学) 聖霊様は、「罪、義、さばきについて、世にその誤りを証明する。」(ヨハネ16:8) 十字架を負わないと惑わしの霊(にせ預言の霊)が働く(U歴代誌18:21)、
  また、エキュメニカル運動(聖霊様によらない制度的な、宗派・宗教の一致運動)、 日ユ同祖論が嵩じた 神道との合同礼拝などの(クリスチャンの方の)霊的姦淫 には要注意。ただし最近では、神道関係者がクリスチャンと共にイスラエルに行くなど、キリストのほうに歩み寄ってきています。


   ∴ いわゆる五役者の働き、特に、使徒、預言者による 主からのビジョンと 言葉が 教会には常に必要。(「幻の無い民は ほしいままにふるまう。しかし、律法(みことば)を守る者は幸いである。」(箴言29:19))
     ( 参考) 1980年以前の韓国のリバイバル、 中国人預言者、 アズサストリートのリバイバル




  5) エゼキエル38:2、 イザヤ66:19

  「人の子よ。メシェクとトバルの首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、(言え。)」(エゼキエル38:2、新改訳○)

  「2 Son of man, set thy face against Gog, the land of Magog, the chief prince of Meshech and Tubal, and prophesy against him, 」(Ezekiel38:2、 KJV○)

  cf. 「わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちののがれた者たちを諸国に遣わす。すなわち、タルシシュ、プル、ルデ、メシェク(×)、ロシュ(×)、トバル、ヤワン、遠くの島々に。 これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を 諸国の民に告げ知らせよう。」(イザヤ66:19、新改訳)

  「19 And I will set a sign among them, and I will send those that escape of them unto the nations, to Tarshish, Pul, and Lud, that draw the bow, to Tubal, and Javan, to the isles afar off, that have not heard my fame, neither have seen my glory; and they shall declare my glory among the Gentiles. 」(Isaiah66:19、 KJV○)


  エゼキエル38:2の 「ロシュ」 は、”大きい”という意味は無く、ユダヤ暦の ロシュ・ハシャナ(新年、年頭)と同じく 「」、「首長」です。(・ 70人訳ではそのまま”ロシュ”で固有名詞扱い。(×))
  これに対して、イザヤ66:19の”メシェク”、”ロシュ”(70人訳による誤訳 ×)は、それぞれ「メシェク: 描く、引っ張る、引く」、「ケシェス: 弓」であり、「弓を引く者 プルとルデ」となります。

  * 「ロシア」という国名は、AD9世紀末の キエフ・ルーシの成立前に”ルーシ”と名乗ったのが初めで、これとは別。 ただし、「メシェクとトバル」は ロシアを指す。
  因みに、「スクテヤ人」(コロサイ3:11)=スキタイ人は、BC8〜BC3世紀に黒海の北部(今のウクライナあたり)にいたイラン系遊牧民であり、その後も”北方の蛮族”として、ギリシャ人、ユダヤ人と区別されて存在していた。 ・・・ 現在のロシア人 = スラブ系 + タタール系(中央アジア、モンゴル) + ヴァイキング(北欧)、(現代ロシア語でスキタイスキーは中国人の意)

  ** ヨセフォスによれば、メシェクおよびトバル(イザヤ書のトバルとは別)が、後にそれぞれモシュケビー、トベリーツと記され、またマゴグの子孫がシシアン族と呼ばれ、黒海とカスピ海の北方に定着した種族であるとしている。
  また、AD年代の長い間、モスクワ(マスクヴァ、Москва )と近くの古都 トベリ(トヴェリ、Тверь)はライバル関係にあった。

 

   

  エゼキエル38〜39章は、終末の初期にイスラエルに起こる ゴグ・マゴグの大事件です。(未だ成就していない) そのとき、ロシア(モスクワはイスラエルのほぼ真「北」、メシェク(モスクワ)とトバル(トベリ=モスクワの近くの都市))が 他の国々(ペルシャ(イラン)、クシュ(エチオピア)、プテ(北アフリカ沿岸)、ゴメル(ベラルーシにゴメルの名の都市がある、or トルコ南西部?、一説にはドイツか東欧の一部?)、北の末端のベテ(家)・トガルマ(アルメニア?:馬を使う <ゴメル))を引き連れて(38:5、6)、(中東和平を裏切る形で)イスラエルに上ってきますが、主の介入によって、攻撃の前に同士討ちで滅ぼされます。(38:21) これによって、イスラエルは、聖書の約束のとおりに、が再び特別に擁護してくださる国になったことが世界中にあかしされ、大リニューアルされます。(第3神殿、領土拡大(創世記15:18)、残りの部族の帰還の加速、 また にせ預言者の台頭 → イスラエルと終末の流れ )
  「北の果てのベテ・トガルマ」とは、北の果てをホームとする”彼女(イスラエル)を破壊しようとする民(ベテ=家、トガルマ=(古)thou wilt break her)” 、とも読める。

  (一方、イザヤ66:19は、使徒行伝時代の小アジア、ヨーロッパ宣教の予告で、エルサレム(後に陥落)の迫害から逃れた使徒パウロらによってなされ、タルシシュ(トルコ東岸部・小アジア、スペインではない)、トバルとヤワン、島々の国々(ギリシャ、ローマ、ヨーロッパ方面)へと、すでに一度は成就しました。)



  6) 創世記2:17

   「17  But of the tree of the knowledge of good and evil, thou shalt not eat of it: for in the day that thou eatest thereof thou shalt surely die. 」(KJV)

   「17  しかし善悪(△)→良し悪し(○)を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」(口語訳△)


  この「善と悪」とは、直訳では 「TWB、トーヴ = good、美しい・好ましいもの」(「ふさわしい助け手を造ろう」(創世記2:18)、「食べるに良く」(創3:6)、「人の子の娘が美しいのを見て」(創6:2)と同じ言葉)、また 「RAh、ラー = evil、邪悪」 という意味です。また、「(主がラバンに、ヤコブと)事の善悪を論じないように」(創31:24)も、 M TWB AD RAh(from good until evil、 良いことから悪いことに至るまで)。
  この「善」とは、「神の義」や いわゆる 哲学的な善 、偽善という意味ではなく、単純に、”神の立場に立って物事の良し悪しを規定してしまう性質”をあらわし、これが代々すべての人々に遺伝している 「原罪」です。 「MWT、死ぬ」という言葉は2回も書かれ強調されています。
  胎児を含む 物心付かない4歳未満の子供は、まだ原罪の性質が現れていないので、死ぬと、御父によって無条件に天の御国に入れられます。しかし、4歳から1日でも過ぎると、イエス様の十字架の贖いが必要となります。(→ 天国と地獄のあかし

  良し悪しを規定する性質の最終的な形として、世の終わりに現れる「反キリスト」は 単純悪の、 「にせ預言者」は 偽善者の、それぞれ 究極の姿です。反キリストの雛形は、ネロ・カエサル(自己陶酔・浪費型人間)、にせ預言者という偽善者は、パリサイ・サドカイ人、バチカン(終末の反キリストを拝ませる)。 御子イエス様が再臨される時、これらに対して究極のさばきがなされます。

 




  7) 黙示録2:6、 9、 14、15、 23、24、 3:9、 12

  黙示録の7つの異邦人教会で分かりにくい(誤訳、未訳)箇所について:
  7つの異邦人教会は、終末直前の異邦人教会が、普遍的(一般的)教会(それぞれ御使いがいる)として 7つに分類されることを表しています。

  ・ 「ニコライ派」(黙示2:6、15) ・・・・・ 「Νικολαιτων(ニコライトン)」 = Νικαν(ニカン、win) + λαωνσ(ラオンス、people) ・・・ 「民に勝つ、あるいは、民を勝ち取る」 → 極端な教派主義、 宗教による支配、 政治的教会  ・・・ 制度的教会、 カトリック、○○正教会 の一部

  ・ 「バラムの教え」(黙示2:14) ・・・・・ 「バラム」(民数記22:5、アモン出身の占い師・ 主の特別なあわれみによって、主の預言も語った) = 「BiLeAM、ビレアム(ヘ)、Balaam(英)」 = 「Be(on、at) + LE(not、do not) + AM(people) 、not of the people民でない者」、となって、 「異邦人(あるいは にせ預言者)が主の民を支配する」 という意味

  ・ 「ユダヤ人と自称し、サタンの会堂に属する人々」(黙示2:9、3:9) ・・・・・ 当時は、発展するキリスト教に常に対抗していたユダヤ教を建前とするグループ。会堂(シナゴーグ)は当時 あらゆるところにあった。 しかし現在では、いわゆる ”にせユダヤ”資本グループ(ロックフェラー、ロスチャイルド)、およびその反キリスト的下部組織全般を指すと考えられます。(聖書改ざん、異端宗教の働き、イスラエルを支配、コーポレートクラシー・多国籍企業・世界の経済支配など。(「この世の支配者」)  ただし、終末の「反キリスト」ではない。)

  ・ 「こうして全教会は、わたしが人の腎臓(ネフロース、νεφρουσ)と心臓(カルディアス、καρδιασ)を探る 『在りて在る者』であることを知るようになる。」(黙2:23) ・・・・・当時、腎臓= 「感情」の座、 心臓= 「知性」の座、と考えられていた。 霊とたましい(ヘブル4:12Tテサロニケ5:23) ではなくどちらも たましいの部分。(たましい = 知性 + 情操 + 意志)  霊が救われている人でも、聖霊のバプテスマに関わる「意志」以外の たましいの領域全般も、(慣習的に間違ったものから)きよめられなければならない。
  また、 「在りて在る者」 = 「I am that I am」(出エジ3:14) ・・・ 黙示録でここだけに用いられている特別な主の表現で、旧約のイスラエルの神、主でもあることを強調。すべてをご存知の全能の神です。
  → イスラエルが生んだ「男の子」(黙12:5)、「神のことば」であるイエス様ご自身(黙19:15)と同じ表現で、テアテラの勝利者は「鉄の杖をもって牧する」ことになる。
  → 「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちは この神に対して弁明をするのです。」(ヘブル4:13) ・・・ 神であり、いやし主でおられるイエス様に、私たちの内側(たましい)のすべてを探って、癒してくださるように祈りましょう。

  ・ :23  間違った教えの熱心な信奉者を 「死」(直訳)をもって殺す。(70人訳で(エゼ33:27)「死病」は誤訳。病気だけではない。) キリシタンのうちのマリア崇拝者への迫害?
  「サタンの深いところ」(黙2:24)とは”グノーシス”の慣用句。 ⇔ cf.パウロが用いた「神の深み」(Tコリ2:10)に対応
  24節: 「ほかの重荷、バロス(ギ)」 = 救われていないノンクリスチャンが受ける「律法の重荷」(つまり、救いを失う事)

  ・ 3:12  「(フィラデルフィアの)勝利を得る者を、わたしの聖所の柱としよう。彼はもはや決して 外に出て行くことはない。」 フィラデルフィアには、AD17年に 町が倒壊するほどの大きな地震があったが、皇帝テベリオの援助により復興したことに 対応。 町はBC150年頃ペルガモの王(フィラデルフォス)によって建設され、周囲にヘレニズム文化(ギリシャ文化、ギリシャ語)を伝播させる機能を有する町なので、「開かれた門」(:7)と呼ばれた。 ・・・・ フィラデルフィア教会には、先の「(積極的な)にせユダヤ対応」や 「聖所の柱(みことば・・・ボアズ(わきまえる、識別、英知)、ヤキン(確立する、能力))」の召しと共に、この 「科学技術から信仰へ」の召しもあります。




  8) マルコ11:22 〜 24

  マルコ11:23、24は ヘブル11:1−と共に、有名な「信仰」の箇所です。

   「22 神を信じなさい」(新改訳 ×、マルコ11:22)は、直訳すると、 神の信仰を持ちなさい(εχετε(命令・2・複、 have、own、carry <εχω(エコー))  πιστιν(faith)  θεου(of God))、 すなわち、 人の信仰ではなく、神が先導される大胆な信仰(山が動いて海に入るほどの)を持つことができる と言っています。 そのためには、ほんの少しの 神様からの言葉・ビジョン(「からし種」)が必要です。 ((注) 信仰の土台は「神の言葉」です。初めの神の言葉無しで、無理やり信仰の歩みをしても 成就しないので注意。 いわゆる”成功哲学・繁栄の神学”は、神の言葉なしに(イエス・キリスト無しに)幸福を追求するという、ニューエイジの典型的な惑わしです。)

   「23 まことに、あなたがたに告げます。 だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言って(ειπη、アオ過去(瞬時過去)・3・単)、心の中で 疑ったことが無く(διακριθη、分離、区別する、 未完了過去(過去進行形)、3・単)、ただ、自身の(今)言っている(λεγει、現・3・単)通りになる(γινεται、become、現・3・単)と (今)信じている(πιστευση、現・3・単)なら、その通りに在るでしょう(εσται、it will be、未来・3・単 < ειμι)。(マルコ11:23)
    ・・・・・ 宣言したことは、現在そのようになっているとして振舞い続ける (語ること + 信仰の歩み)

   「24 だからあなたがたに言うのです。 祈って求めるものは何でも、すでに受けた(△)と信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11:24、新改訳)
   「24  Therefore I say unto you, What things soever ye desire, when ye pray, believe that ye receive(△) them, and ye shall have them. 」(KJV)

   「24  δια  τουτο  λεγω  υμιν,  παντα  οσα  αν  προσευχομενοι(prayer)  αιτεισθεdesire、ask),  πιστευετε(現・命令・2・複、you believe)  οτι  λαμβανετε未完了過去(過去進行形)・2・複、 were receiving(○)),  και  εσται(it will be、未来・3・単 < ειμι(I am)) υμιν(unto you)」(ワードプラネット・ギリシャ語: ビザンチン型(○)・・・Tヨハ5:7がある、Tテモ3:16「神 Θεοσ」
  ( ⇔ cf. 「δια  τουτο  λεγω  υμιν, παντα  οσα  προσευχεσθε(pray) και αιτεισθε,  πιστευετε  οτι  ελαβετε(アオリスト(瞬時過去)・2・複、 received(△)), και  εσται  υμιν 」(CBOL新約・台湾語訳: アレキサンドリア型(×)・・・Tヨハ5:7が無いTテモ3:16「それΟC」、 ただし このサイトは語句・文法を調べるのに有益旧約はマソラ訳で良い))

    ・・・・・ λαμβανω(ランバノウ、 receive、take、have、 受け取る)が、 ビザ型ギリシャ語訳では、 λαμβανετε未完了過去(=過去進行形)・2・複were receiving)です。  cf. 改ざんの アレ型(シナイ写本など)では ελαβετε(アオリスト・2・複、 received) で正しくない。

  ∴  24 祈って熱烈に求めるものは何でも全て、(祈ったり見たり語ったりしているうちに)受け取り続けていた と信じなさい。そうすれば、それは在るようになる(マルコ11:24)

というニュアンスになります。 これは、一回きりの受け取った体験ではなく、(祈りや語る言葉やあらゆる生活の中で)継続的に受け取り続けている体験しばらくは必要であることを言っています。
  ・ 創世記1:2の、聖霊様による「孵化」の段階。 「神の霊は、大いなる水の上を舞いかけていた」 ・・・・・ いわゆる”継続は力なり”


  * 動詞の4つの時制の関係:  @ 現在形、 A アオリスト(=瞬時過去形、一回的な、決定的な出来事)、 B 未完了過去(=過去進行形)、 C 現在完了形(A → B → @: まず過去に一回的な出来事があって、それが過去進行形で続き、現在もその状態にある、これがギリシャ語の完了形の意味)
  たとえば、
  ・ ルカ7:47 では、「この女の罪は (すでに、今も)赦されています。(現在完了形、受・3・複、 αφεωνται < αφιημι) というのは、彼女はよけいに愛したからです。(アオリスト=単純過去形、 ηγαπησεν < αγαπαω(アガパオー))」 すなわち、この女性が 過去に一度 イエス様を誰よりも愛したので、そのときから現在に至るまで、継続的に、多くの罪が赦されているということです。
  ・ ヨハネ19:30 「完了した」、 τετελεσται(テテレスタイ、完・受・3・単)は、現在完了形で、 「(罪の代価を全部まとめて(3・単数))完済された(受)」という意味。 テテレスタイは完済を表す当時の印(商業用語)。 < τελεω(テレーオ、 pay、finish、pass、close)



  ・・・ 神様は ただ熱烈なお方であり、なまぬるいのが大嫌いです。 たとえば、チョーヨンギ師の教会成長、教会堂建設では、 願い(desire)・・・燃えたぎるような願い を持って、この願いと共に生き、ともに眠り、ともに歩んでいました。彼は、韓国一の教会を建てたいという願いを20年間も持ち続けていたのでした。(was 〜ing) また、建設時には、建設用地を何百回と歩き回り、その都度 聖霊様のあふれる臨在があったそうです。

  ・・・・・ 「見ること」、「語ること」、「足で歩き回ること」は、すなわち「所有すること」になる。
  「みなすこと」: シモン(葦、風になびきやすい) → ペテロ(岩、不動のもの)、イエス様は3年の間 シモンにペテロと名付け こう呼ばれたので、ペテロはその名の実質へ変えられていった。 父なる神への神観によって、主からの恵みの受け取り方が違ってくる。 預言者を預言者として受け入れるならば、預言者の受ける報いを受ける。人を見る量りによって 量り返される。 神様の目から物事を見る。ギデオンは勇士だ。
  「霊の目で見る」: チョーヨンギ師も、信仰の試練に遭った期間は、目を開けているよりも 目をつぶっている時間の方が長かった。(現状を見ず、信仰で見るために)
  「お着物にでもさわることができれば、きっと直る。」(マタイ9:21) 強い願いをもって、継続的にそう考え、言い続けてきた。→ 「あなたの信仰が救ったのです。」(:22)

  ・ 「信仰は 望んでいる事がらの実体(保証)であり、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)
  ・・・ この「実体(保証)、 υποστασισ(ヒュポスタシス)」とは、 「実体、不動産権利証書、有価証券」という意味です。 この「実体」を神様から受け取る時、大きな山が 手のひらに乗る”小石”のようになります。 (チョーヨンギ師の場合は、毎年1000人、1970年からは毎月1000人以上集められ、1982年には22万人の教会になり、また 大きな教会堂建設の12億円(当時)もの証券が 合法的に自分のものになりました。((参考) 『第四次元』、パウロ・チョーヨンギ著、p43、p204他))

  ・ ヤコブ4:3 にも全く同じ λαμβανετε(未完了過去・2・複)が用いられ、 「求めたのに(継続的に)受け取っていないのは、間違って(悪く)求めているからです。あなたがたの欲(快楽、歓楽)のために使おうとしているからです。」 となります。  ・・・ 主の栄光のために求めるべきです。
  ・ 「あなたがたの信仰のとおりになれ」(マタイ9:29) ・・・ 主は人の信仰を尊重され、何を信じるかの選択が与えられる。 否定的な信仰も同じことになるので注意。

  ・ ケニアで実際に「山が動いて平地になった」あかし(by.ナイジェリアのTV伝道者セグン・オシナガ牧師): 注) 冒頭に述べたとおり、初めに 明々白々な「神様の言葉」があっての話です。 ニューエイジ・成功哲学の惑わしには要注意。
  ケニアのある夫人・Aさんが、主人の昇天を機会に広い土地を相続しました。そのとき彼女は、マルコ11:22−23が示され、宣教師に、「それでは、私の土地にある山に向かって「平になれ」と言えば、そうなるのですね。」と聞きました。 すると宣教師は、「とんでもない。そんなばかなことがあるはずがない。イエス・キリストはここで、本物の山ではなく、比喩として ”問題の山”について語ったのです。」 と説明しましたが、Aさんはもう一度聞きました。 「でもこの聖句は、本当にイエス・キリストが語られたのですね。」 宣教師は「そうです。本当にイエス様が語られたことばです。」と答えました。
  Aさんは、家に帰るとすぐに、その日から、毎日 山に向かって 「主イエスの御名によって命じる。 目の前にある山よ、 平らになれ!」 と叫んで命令しました。
  1週間、10日と、Aさんは聖書のみことばに立って、毎日 命令を続けました。しかし、1ヶ月、2ヶ月たっても、山はびくともしませんでした。 それでもあきらめずに、毎日命じ続けました
  4ヶ月目が過ぎたある日、突然、Aさんの家に、ケニア政府の建設省の役人が尋ねてきました。 彼は言いました。「ケニアの道路建設のために大量のアスファルトが必要です。ナイロビ大学に調査させたところ、お宅の山は コールタールのかたまりのようなもので、原料としてぜひとも山を全部買い上げたいのです。」 Aさんが値段を聞くと、100万米ドルだったので、交渉して値段を上げさせ、ついに400万ドルで売却が決まりました。 それからあっという間に Aさんの土地の山は崩されて 平地になりました。




  9) Uコリント6:5、 11:27

   「むち打たれることにも、入獄にも、騒乱にも、労苦にも、徹夜にも(×)、飢餓にも(×)、」(Uコリント6:5、口語訳)

   「In stripes, in imprisonments, in tumults, in labours, in watchings(= 目を覚ましていること, in fastings(=断食; 」(○、 KJV
   「εν πληγαισ εν φυλακαισ εν ακαταστασιαισ(disturbances, confusions) εν κοποισ(labours, troubles) εν αγρυπνιαισwatchings) εν νηστειαισfastings)」 (○、ビザ型ギリシャ語訳、 ワードプラネット

   「労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし(×)、飢えかわき、しばしば食物がなく(×)、寒さに凍え、裸でいたこともあった。」(Uコリント11:27、口語訳)

   「In weariness and painfulness, in watchings often(=よく目を覚まし), in hunger and thirst, in fastings often(=よく断食し), in cold and nakedness. 」(○、 KJV

  特に、「霊的に目を覚ましていること」(*)、「断食すること」(**)は、無理やり強いてさせられたのではなく、パウロが能動的、自発的に行ったものです。パウロは元 迫害者であり、回心後には、主から厳しい召しの言葉を語られていましたが、それでも自発的に主に聞き従って使徒としての使命を全うしたのでした。
  これは、御子イエス様が、初めからの神の計画により、ゲッセマネで勝利され、ご自分の意志で 十字架にかかられたのと同じです。イエス様は、十字架の時、ご自分の意志でいつでも十字架から降りることができ、また 周りに天の軍勢が満ちて、御子のことばがいつ発せられてもすぐに対応できるように 待機していましたが、イエス様は 十字架の死にまで従い通されました。御子の従順のゆえに、私たちは救われました。(→ 十字架上の7つのことば

  * 「霊的に目を覚ましていること」は、最近、「使徒」たち(Dr.金山師(側近たちと敵対者はだめ、しかし 彼本人は相変わらず良い)、ブラジル在住韓国人のワォン・ジュンサン師 など)がメッセージの中でよく言っています。 これから 多くのとんでもない事が日本に、イスラエルに、世界に起こるからです。(金山師や 主ご自身による霊の戦いの結果、イスラエルに長く在住した人によれば 日本は最近 イスラエル並みに「軽く」なっているそうです。 また逆に、惑わしも多くなっています。)
  ・ 日本は、主の御前に非常に罪深い歴史を持っていますが、キリシタンたちの血とりなしのゆえに、必ずリバイバルします。 たとえば26聖人たちは、移動の途中 火山に投げ込まれた時、ダニエルのように無傷で守られ、主が共におられることが明らかでしたが、最後は自発的に磔の刑に処されました。12歳のルドビコ茨木は、自分の十字架を慕って駆け寄ったそうです。
  
・ ISISに殺害された後藤さんは、福音派のクリスチャンであり、主に聞き従って 自発的に渡航し 「殉教」したと言われています。

  ** 「断食」については、改ざん修復(2)の 14) 参照  この「断食」についても、敵が覆い隠そうとした重要な真理の一つです。



  10) マタイ24:36

   「その日、その時は、(人々は)だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない(×)、ただ父だけが知っておられる。」(マタイ24:36、 口語訳 ← アレ型写本)
   「 περι δε τησ ημερασ εκεινησ και τησ ωρασ ουδεισ οιδεν(オイデン<οιδα、know) ουδε οι αγγελοι των ουρανων(nor the angels of heavens) ουδε ο υιοσ(nor the Son、 ×)  ει μη ο πατηρ(Father) μου μονοσ.」(×、アレ型ギリシャ語訳)

   「But of that day and hour knoweth no man, no, not the angels of heaven, but my Father only. 」(○、 KJV ← ビザ型写本)
   「 περι δε τησ ημερασ(日にち、the day) εκεινησ και τησ ωρασ(時刻、the hour) ουδεισ(no man) οιδεν(オイデン・2完・3単<οιδα、know) ουδε οι αγγελοι των ουρανων(nor the angels of heavens(複数))  ει μη ο πατηρ μου μονοσ(that not the Father only).」 (○、 ビザンチン型ギリシャ語訳ワードプラネット

  アレキサンドリア型(シナイ写本、バチカン写本など)では、「子も知らない」という余計な挿入により改ざんされています。(*) このことは、御子の神性を貶(おとし)めることにほかなりません。 御子は完全に神であり、御父と一体です。アレ型聖書による、御子が「知りたくもない」という解釈も一般にありますが、終末の再臨の時には、イエス様はまさに当事者の中の当事者であり、当然知っていることになります。 その時知っておられるという事が、まさに 「」であることのあかしです。 一方、被造物である 人や御使いは知らなくても良いことです。
  いつまでが 人が救われる時であるかの分岐点は、神の権限にあります。御子の再臨と同時に、「信仰」による救いのチャンスが永遠に閉ざされてしまうからです。(「落穂拾い」の時間はその後も若干あると考えられます(黙16:15、サルデス(残りの者、黙3:3、4))。) ・・・ 「イエスのあかしは預言の霊です。」(黙示19:10)

  * 「(しもべ)として」のイエス様を記述している マルコの福音書13:32 では、ビザ型、KJVにも、「子も知らない」は入っています。これは、文字通り”知らない”のではなく、「知りたくもない」と解釈されます。 cf.使徒行伝1:7 ・・・ 「あなた方は知らなくてもよい」ということが強調されている。
  ⇔ マタイの福音書ではイエス様を ほぼ「教師」として見ているので、「三位一体」、「御子の神性」という点で、一切 妥協はしていない。


  ● 終末の箇所の用語:
  ・ マタイ24:28 「死体(単数)のあるところには(全地の)どこででも 鷲(複数)も集まる。」 死体:「πτωμα、 プトーマ」=「wheresoever the carcase is」(KJV)(単数) = 反キリストの偶像(全世界の教会に置かれ、にせ預言者がこれを拝ませる。 ハバクク1:8 の鷲も 反キリストの軍隊を表す。良い意味では言っていない。)
  = ルカ17:37  (人の)体: 「σωμα、 ソーマ」=「Wheresoever the body is」(KJV)(単数) = 反キリストの偶像、いのちの無い体
    ・・・・ ただし直前の 「主よ、どこですか?」(「που κυριε」、「Where, Lord?」)は、文学的な一貫性が無くギャップがあって、37節の一文は、それ以前の36節までと比べ浮いていると考えられる。
  cf. 黙示録11:8の「彼ら(イスラエルの2人の預言者)の死体」 の 「死体」:「πτωματα、プトーマタ」(複数)。 (アレ型では「プトーマ」(単数) ×)

  ・ ルカ17:36 「二人の男が畑にいると、一人は取られ、他の一人は残される。」 ← この一文は丸ごと、アレ型聖書では抜けている

   「取られ」(παραληφθησεται、未来・受動・3単、take、take up、receive)とは、ヨハネ14:3の「迎える」(παραληψομαι、未来・1単)と 同じ言葉。(原型: παραλαμβανω、パラ ラムバノー)
    ・・・・ 主の再臨の時に、御使いたちによって天に携え上げられる時は、ある一瞬であり、昼・夜問わず、全地球レベルで同時に行われることを表しています。 (もちろん、艱難期 前 携挙 ではない。)

  ・ マタイ20:16 「このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう。(× 抜け)」(口語訳) → 「So the last shall be first, and the first last: for many be called, but few chosen.(それは、呼ばれる者は多いが、ほとんど選ばれないからである。)」(KJV)  ・・・ すべては 神の恵みとあわれみの ご一方的な裁量によります。 気前の良い報酬にも、召しの選びにも、主の主権を認めること。
  ・ マタイ24:7 「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、(× 抜け)、また地震があるであろう。」(口語訳)  → 「For nation shall rise against nation, and kingdom against kingdom: and there shall be famines(飢饉、食料不足), and pestilences,(疫病) and earthquakes(地震), in divers places.」(KJV)

  ・ マタイ24:8 「しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。」(△〜○、口語訳) = 「All these are the beginning of sorrows.(悲しみの初め)」(KJV)
   = 「παντα(all) δε ταυτα(these) αρχη(アルケー、beginning, 初め、根源、 単・女) ωδινων(オーディノン、所有格・複・女) 」 ・・・ ωδιν(オーディン、 sorrow,悲しみ、(古)心配、 pain,苦痛、 labour,労働、 travail,陣痛)より、「生みの苦しみ」と意訳したもの。 終末の前兆であり、キリストの降臨、また、再臨に先立つもの。

    ・・・・ 人間の罪によって虚無に服してきた被造物の世界も、切実な思いで、御子イエス様の再臨による義の支配を待ち望んでいる(ロマ8:19、20)。






  11) マタイ5:44    (追加 2016 2/1) NEW

   「44 But I say unto you, Love(*) your enemies, bless them that curse you, do good to them that hate you, and pray for them which despitefully use you, and persecute you; 」(Matthew5:44、 KJVNKJV

   「しかし わたしはあなたがたに言います。 あなたの敵を愛しなさい。(* Love大文字:聖霊様によるアガペーの愛) あなたを のろう者を祝福しなさい。 あなたを憎む者に 良くしてやりなさい。 あなたを意地悪く利用したり、迫害する者たちのために 祈りなさい。」 (マタイ5:44)


  ・・・・・ 太字部: 本来のビザンチン型ギリシャ語写本による訳。  cf.アレキサンドリア型の 口語訳、新改訳等では意図的に削除されています! マルコ16:9〜20、マルコ9:44、46、48などと同様に、敵が最も読んでほしくない箇所が改ざんされています。 逆に、このような削除箇所は、現在の私たちにとって 重要度が高い、ということを明らかに示してくれます。

  現在は新約信仰の時代です。 旧約時代は 「汝の敵を憎め」などとなっているのは、当時のイスラエル人たちが あまりにもかたくなだったためであり、モーセと御使いの手によって「律法」が定められたのでした。「目には目を」などは、復讐を限定することにより争いがエスカレートするのを防ぐ意味もありました。(同様の、イスラム教の復讐法によって いつまでも紛争が終結しないので、このことがよく分かります。)
  ここでイエス様が言われている「山上の垂訓」の箇所は、律法の焼き直しではありますが、改めて 完全な御父のみこころを追加して語っておられます。 もちろんこの実質は、人間の力では誰も守ることができず、その後の十字架、復活、そして聖霊降臨によって、信じる者すべてに与えられた「聖霊様」によって初めて守ることができるものです。 敵は、あらゆる神のものを真似しようとしますが、「愛」については真似ることができません。 正しいさばきは 主がなさることです。

  私たちは「主の祈り」に従って、「試みに遭わせず、悪しき者から救い出してください。」と日頃、祈りますが、それでも時には このような不条理な災いに遭うことも許されます。 この時こそ、この「敵を愛する祈り」が効果を発揮します。 (名前が分かる場合は)一人一人名前を挙げて、丁寧に祝福を祈って とりなしていきましょう。 あとは主にゆだねましょう。

                  → 十字架信仰の力2016 の下のほう

  同じ箇所の ルカの福音書では、
   「27 But I say unto you which hear, Love your enemies, do good to them which hate you,  28 Bless them that curse you, and pray for them which despitefully use you. 」(Luke6:27、28)
   「しかし聞いているあなたがたに言います。 あなたの敵を愛しなさい。 あなたを憎むものに良くしてやりなさい。 あなたを のろう者を祝福しなさい。 あなたを悪意をもって利用する者のために祈りなさい。」(ルカ6:27、28)







    § ゲゼル・カレンダーの解読:


  ゲゼル・カレンダー(エルサレムの西30kmのゲゼル(エフライムの地、軍の要衝の町)で発見された農事暦、石灰石板11×7.5cm)は最古(BC10世紀頃)のイスラエル文書で、現在のアラム語系文字の前の、フェニキア系文字(古代ギリシャ語に近い)を借用した古代ヘブライ語で書かれてあります。(中近東文化センター(東京・三鷹市)にもレプリカが時々展示) ダビデBC1000年 - BC961年頃)の頃やそれ以前も文字はフェニキア系で書かれ、一方、律法は”口伝律法”として文書に残さず伝えられていました。 アラム語系になったのはバビロニア帰還後の第2神殿時代以降であり、死海写本のイザヤ書は BC200−100頃(C14法)です。
  書き方は、練習を兼ねたような書き方(彫り方)で、最後に ”わが父(ABY)” と書いてあり、書いた人物は子供かもしれません。(「永遠のわが父(ABY AD)」(イザヤ9:6)) 現在使われていない用法もあります。(month を moon と書いている。 W(=and) で”2”を意味。 語句の間に入る Y、H、Wなどが省略されている。) ”2ヶ月”をあらわす YRX(ヤーレハ) + W(ウェ) の発音は、= YRXW(ヤーレフー) かもしれない。

  内容は、 ・ ユダヤ暦(宗教暦)の6、7月: 収集の2ヶ月(オリーブ)、 ・ 8、9月: 種播きの2ヶ月(初めの雨、 大麦・小麦)、 ・ 10、11月: 2番播き(遅播き)の2ヶ月(雨季、 えんどう豆・野菜)、 ・ 12月: 亜麻を引き抜く1ヶ月(亜麻繊維=リネン)、 ・ 1月: 大麦刈りの1ヶ月、 ・ 2月: 小麦を中心とする収穫の1ヶ月、 ・ 3、4月: ぶどうの手入れと収穫の2ヶ月、 ・ 5月: 夏の果物(**)の1ヶ月(いちじく、ざくろ等)。
  これは、レビ記にある 例祭(レビ23:24−37、 23:5−)と重ねることができます。 ・・・ イスラエルのリバイバル(オリーブの収穫)の後、ラッパ(ラッパの日 7/1、ロシュ・ハシャナ(政治暦の新年、年頭))・主の再臨(贖いの日 7/10、ヨム・キプール(YWM H KPRYM、the day of atonements、贖罪の日))・千年王国(仮庵、H SKWT、tabernacle 、スコット 7/15−21)。

   「(いちじくの)枝が柔らかになって、葉が出てくると、夏の近いことがわかります。」(マタイ24:32) ・・・ いちじくは、葉よりも早く花が咲き、葉が出てくると 早成りの実を収穫する。

     

   

   

   

  ** 主ご自身が 預言者に対し、語呂合わせをして語っておられる箇所:

   「主は仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」 私が、「一かごの夏のくだもの(カーイツ)です。」と言うと、は私に仰せられた。 「わたしの民イスラエルに、終わり(ケツ)が来た。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。」(アモス8:2)
   「次のようなことばが私にあった。 「エレミヤ。 あなたは何を見ているのか。」 そこで私は言った。 「アーモンド(シャーケド)の枝を見ています。」 すると は私に仰せられた。 「よく見たものだ。 わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っている(ショーケド)からだ。」」(エレミヤ1:11、12)
   



  (おまけ)  ● 沖縄のフェニキア遺跡:   ユーチューブ

  北谷(ちゃたん)近辺の11枚の石板(かつては100枚以上あった)の絵や文字が フェニキア由来のもの、 伊是名島、伊江島、北谷海底ピラミッドは エジプト サッカラの3つのピラミッドと同じ並び方、 与那国の海底からも石板、 与那国の海の崖に文字を刻む習慣はフェニキア人の特徴、 巨人伝説・背の高いフェニキア人が 五穀の種をひょうたん(アフリカ原産)に入れて持ってきた。
  これらの3つのピラミッドは、BC500−AD500頃作られた。(by. 琉球大学名誉教授・木村政昭氏) 2100年前、沖縄は独自の文字文明を持っていた(by.梁書)。 扶桑(ハイビスカス)の国(by.淮南子(えなんじ、BC179−BC122))。 ただし、石板の枚数が少ないため 文字は解読されていない。

   →  海のシルクロードとエドム人の渡来:  ソロモンの時代は フェニキアのツロ航海技術は海外貿易(インドからアフリカ東海岸まで、 くじゃくはインド原産)になくてはならないものでした。 エドムの地がナバテア人に占領されたとき(BC4c)、また、その後のローマによる南ユダの追放時(AD70)に、ユダがエドム人と共に沖縄経由で日本に渡来した可能性は大きいです。
  文字文化がほとんど無かった弥生時代の日本と比べ、沖縄だけはフェニキア文字が用いられ、AD1−2世紀は(後の4−5世紀からのユダヤ系秦氏が天皇家に付いて古代日本の基礎文化を築くまでは、)琉球や山陰のほうが栄えていたと考えられます。また、沖縄は 仏教の影響が少なかったので、少なくとも戦前までは、旧約聖書、新約聖書の言い伝えや慣習が色濃く残っていました。
   →  沖縄のユダヤ性、  初期の天皇の系譜について


 




  § イスラエル国歌: ハティクヴァ(希望)  ユーチューブ  ・ 国歌が作られたのは1897年ルーマニアで、曲はモルダビア民謡、 国歌としては1948年承認

  (日本語訳の一例)
  心の底で切望していた  ユダヤの魂はずっと求めてきた
  そして歩き出した 東の果てへ  その眼はただシオンの地を見続けた
  希望は未だ尽きない  二千年続いた その希望
  自由のある私達の国  シオンとエルサレムの国

  




   § ニクダー(発音記号):

    


    (参考)       ワードプラネットは、英語が KJV、        聖書箇所の Photo

             
ヘブライ語(マソラ本文)−英語対訳      ルター訳(1545年)等の古典訳一覧との比較

                 google 翻訳 (ヘブライ語 → 英語、日本語など) ・・・ マソラ本文などからのヘブライ語や文字を貼り付けて入力、単語の英訳でいくつかの候補が下に出る。現代ヘブライ語がメイン
                 ヘブライ語旧約聖書の台湾語訳 ・・・ わかりやすく一語ずつ正確に字義を解説、ただし 漢字のみ



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